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Q.山本五十六暗殺説? http://bany.bz/historian/entry_193759.php >山本五十六の遭難死の裏には山本を見限った陸海の首脳部による陰謀があったのではないかと疑われる状況証拠として次のよ うなものがある。 撃墜されてから現場近くの日本軍の救助隊が至近距離(直線距離で1キロ以内)の現場に到着するまで丸一日以上かかっており、海軍の最重要人物の捜索としては異常に遅いこと。つまり、一刻も早く不時着した現場に到着して救出しようと努力した形跡が無い。 翌日の午後、最初に現場に到着した捜索隊は道路設営隊の陸軍の一行で、それも海軍から依頼されたわけではなく一式陸攻が撃墜されたのを目撃したため自発的捜索に向ったものである。故に最初は撃墜された機に山本五十六が搭乗していたことも知らなかった。 山本五十六がおそらくまだ生存していた可能性の高い十八日(撃墜当日)の夕方に水上偵察機から地上の陸軍の捜索隊に対して早々に「生存者の見込みなし」という内容の連絡筒が投下されている。このような事故の場合は身動きできなくても生きている場合はありえるのに飛んでいる偵察機から見下ろしただけで近くで確認したわけでもないのに、いかにも不可解な行動である。まして山本五十六は腰掛けたままの姿だったのだから、本当に上空から確認したのなら「生存の見込みなし」などという報告はできなかったはずである。 山本五十六の遺体に残されていた銃痕は米軍の戦闘機の機銃によるものではなく、小口径の拳銃のものであったこと、 すなわち機上戦死という公式の記録は嘘で、最初に検視した軍医(蜷川親博陸軍大尉)のメモ等から判断しても墜落後約24時間は生存していたと思われる山本五十六の救出の遅れの責任を回避するため、機上戦死をデッチあげたと思われること。 山本五十六の搭乗機の少なくとも尾部の機関砲が取り外されていたか発射できないようになっていた可能性が高い。 生き残った二番機の操縦士林浩二等飛行兵曹も頭上を敵機の放つ曳光弾が山本機目掛けて走っていくのを見ているが反対に山本機から敵機目掛けてのものは目撃しておらず、山本機を撃墜したレックス・バーバー陸軍中尉も「一番機の尾部銃座に銃も人影もなく、一発も反撃されなかった」と証言しているからである。 最初に墜落現場に到着した陸軍の捜索隊の長であった浜砂盈栄(みつよし)少尉も墜落機(後部)には機関銃は見当たらなかったと証言している。 (参考文献 山本五十六の最期 蜷川親正 光人社/検証・山本五十六の戦死 山村英男・緒方徹 日本放送出版協会)蜷川親正氏は最初に山本五十六の死体を検死した軍医の実弟でご本人も医師である。 巡視のスケジュールが訪問予定の各部隊に宛てて暗号を用いて打電されたが、これがもっとも解読されやすい暗号であったため電信員が驚き、間違いではないかと通信参謀に問い合わせたが「そのままでよい」といわれたこと。 山本の巡視予定だった方面は当時、約1ヶ月間で20回の偵察や襲撃を受けており、山本の護衛機が僅か六機であることを知っていた各部隊の司令官が実情を山本一行に伝えて護衛の強化や自分達の方から護衛を申し出なかったことは不自然であること。事実山本に別の機で同行して同様に撃墜されて生き残った宇垣纏長官は「あんな危険なところだとはしらなかった」と述懐している。 (引用ここまで) →別件で、いくつかの戦記に山本が死んだ報に「疫病神がやっとくたばった」と歓喜の声が上がった記述があるとのお話もいただきました。 現場は案外そんなモンだったのかもしれません。 Q 皆さまは「山本五十六暗殺説」について、どの程度信憑性があると思われますか?

A.>山本の巡視予定だった方面は当時、約1ヶ月間で20回の偵察や襲撃を受けており、山本の護衛機が僅か六機であることを知っていた各部隊の司令官が実情を山本一行に伝えて護衛の強化や自分達の方から護衛を申し出なかったことは不自然であること。 奥宮正武は当日ラバウルで山本を見送った、数少ない戦後の生き残りですが、こう書いています。 ラバウル海軍航空隊より引用 --- その頃ラバウル-バラレ間の午前七時-八時の間の飛行については、現地の航空部隊では対空顧慮はほとんどといってよいほど必要ないと信じていたようであった。 中略 私が、後に、当該航空隊で、この六機の編成をした責任者の一人に聞いたところでは、同隊では全く空戦を予期していなかったとのことであった。 では、なぜ、六機の零戦を出したのか。 端的にいえば、ブインでは基地航空部隊指揮官の戦闘機派遣命令を儀礼的なものと受け取っていた。 --- この方面は日本の制空権にあり、そもそも護衛自体が儀礼以上の意味で必要ないと考えられていたというのが当時の関係者の証言です。 ちなみに、奥宮正武は、山本五十六が搭乗する一式陸攻を直接に見ています。


Q.光人社の軍事雑誌「丸」を図書館に置いてありますが「九条」ある日本の図書館にはふさわしくありません。近隣の市町村の図書館には、置いてありません。 置いてある図書館の町の役場に抗議したほうが良いですか?

A.日本国憲法第九条は、「国際紛争を解決する手段としては」永久に戦争放棄することを決めています。日本国防衛であったり、宇宙からの未確認物体やゴジラであれば攻撃してもかまわないという解釈です。そのためには、軍事力が必要です。 「週間大麻」とか「月刊 痴漢の仕方」などの雑誌(そんなものないですが)ならこれは問題ですが、丸はどうでしょうか。 また憲法は 第二十一条 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。 2 検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。 第二十三条 学問の自由は、これを保障する という事になっていますので、軍事雑誌を読みたい人が多い地域であれば、購入しても何ら問題ありません。 どうしても図書館に置くのが嫌であれば、他の町へ移れば済む話です。 第二十二条 何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転及び職業選択の自由を有する。 憲法でも補償しています。


Q.日本陸軍機に詳しい方に質問です。 3式戦闘機飛燕1型丙の20ミリマウザー機関砲の装弾数は、光人社、小山進氏著の「あゝ飛燕戦闘隊」という本の、147ページのマウザー砲試射の描写のシーンで、「百五十連の弾帯が装填された。」という記述の通り、片翼150発が装弾数なのでしょうか? それともこれは試射用で、本来はもっと多かったり少なかったりするのでしょうか?

A.既に指摘のあるとおり、MG151/20(いわゆるマウザー砲)はベルト給弾なので、弾倉のサイズに合わせた弾数を搭載できます。 このMG151/20は飛燕では主翼に装備されています。 で、渡辺洋二氏の著作には120発と言う数字が紹介されています。 なお、飛燕一型丁以降に搭載された国産20mm機関砲である ホ-5 は主翼ではなく胴体装備ですから装弾数は比較できません。


Q.艦これでは、水上機母艦(飛行艇母艦)秋津島は、二式飛行艇とおぼしき飛行艇を抱いていますが、史実の秋津島は、二式大艇のメンテや補給をしたことはあるのでしょうか?光人社からでている軍艦 写真集には、そういう写真は見当たらないし、二式は絶対数がかなり少なかったらしいので、ふと疑問に思いました。どなたかお詳しい方いらっしゃいましたらお教えください。

A.ウィキペディアの秋津洲の記述で、1942年8月15日の記述から、ショートランド泊地を始め、南方で飛行艇の母艦任務、索敵哨戒等に従事したらしい。 本文中にはないもの、下記の注釈の99番に「二式大艇」の記述はある。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%8B%E6%B4%A5%E6%B4%B2_(%E6%B0%B4%E4%B8%8A%E6%A9%9F%E6%AF%8D%E8%89%A6)


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2017/03/28 Tuesday 11:17:59