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Q.南京事件 秦郁彦の極悪非道な印象操作(9) 第十軍に従軍した前記の河野カメラマンは、「川沿いに、女たちが首だけ出して隠れているのを引き揚げてぶっ殺し、陰部に竹を突きさしたりした。 杭州湾から崑山まで、道端に延延とそういう死体が転がっていた。」 (証言記録・三光作戦)46p)という見聞を書きとどめている。p72. (私見。蒋介石日記 11月30日「抗戦の果てに東南の豊かな地域が敗残兵の略奪場と化してしまった。戦争前には思いもよらなかった事態だ。(中略)撤兵時の略奪強姦など軍規逸脱の凄まじさにつき、世の軍事家が予防を考えるよう望むのみだ」 日本軍の前に中国の敗残兵が略奪・強姦していた。殺害も中国軍) 問 秦の「南京事件」は、秦と中公新書の合意のもと自主的に廃刊すべきですか 最後に 中国南京の大屠殺記念館30万は確実に捏造です 証拠は蒋介石政府が出版した「南京安全地帯の記録」です. 故に、大屠殺記念館は大屠殺【捏造写真展示】記念館です、 更に言えば、日本軍は不法行為を禁止していたので、軍の組織的計画的不法殺害(虐殺)はなかった また、南京安全地帯の記録を日本語に訳したのが「南京安全地帯の記録 完訳と研究」冨澤繁信著 展転社出版 この本では、南京事件は「略奪・強姦事件(デッチアゲ)」と主張。 本当に今の中国政府や中国人はウソツキの極み 兎も角、国民政府が出版した「南京安全地帯の記録」を読み、日本を誹謗中傷する南京大屠殺記念館は閉鎖し、 中国政府及び中国人民は日本人に謝罪すべきです 折角、言論自由の国「日本」に来たのに南京捏造大屠殺を主張するなどアキレタ中国人 天安門事件で自国の民を戦車でひき殺すのが漢族の正義ですか? 南京城内外での民間人不法殺人はゼロの根拠。 ①非戦闘員を皆殺したとされる期間(12月13日から約2カ月)に国際委員会は、日本大使館に69通(計424件)の抗議文を提出。 この抗議文を蒋介石政府が昭和14年に「南京安全区の記録」として出版。 この本を冨澤重信が(邦訳「南京安全地帯の記録」完訳と研究。)で展転社より出版。之によると、日本軍の民間人殺害(合法)は2人。 ②秦郁彦等の日本軍による民間人虐殺の根拠は、中国の犬スマイスの『南京地区における戦争被害 ― 1937年12月から1938年3月・都市および農村調査 』 に依拠している。 ③1937年。ドナルド・ティンパリーは宣伝工作に参加するように勧誘された。 財政部長宋子文から月1千ドルを受け取ることで合意。(米コーネル大図書館所蔵の資料) 中国国民党中央宣伝部(国際宣伝処)のトップであった曽虚白の回想録に「金を使ってティンパーリー本人とティンパーリー経由でスマイスに依頼して、 日本軍の南京大虐殺の目撃記録として二冊の本を書いてもらった」と記録されている。 台北の国民党史館で所蔵されていた「国民党中央宣伝部国際宣伝処工作概要」(1941年)の「対敵宣伝本の編集製作」の 部分にティンパーリーの「戦争とは何か-中国における日本の暴虐」は同機関が編集印刷した対敵宣伝書籍と明記されている。 ④「国民党中央宣伝部国際宣伝処工作概要」に中央宣伝部国際宣伝処が1937年12月1日から38年10月24日までに、 南京戦を挟む1年間に外国人記者を集めて、記者会見を3百回開いていることが詳しく書かれている。 その中に、1回平均の参加者は50名と書かれている。 その3百回の記者会見において、ただの、1度も「南京で、日本軍が市民を虐殺した」だとか「捕虜の不法殺害をした」だとか言っていない。 ⑤12月6日、「ヴォートリンの日記」 「UP(通信社)特派員のマクダニエルが今日話してくれた所では,昨日句容へ行ってみたが、 人が住んでいる村はただの一つもなかったそうだ。中国軍は村人を1人残らず連れ出し, その後、村を焼き払っているのだ。全くの「焦土作戦」だ。農民達は城内に連れてきてくれるか、浦口経由で北方に追い払われた。 悪名高き空室清野(焦土)作戦。南京から10マイル(約16キロ)以内は全ての村を焼いた。 焦土では、日本兵は民間人を殺せません。 (句容街道では、南京から江寧県湯山迄約25キロ、句容県句容城まで約50キロ。) ⑥中国が、国連での南京市民虐殺の根拠としたのは、米国などの新聞記事で、中国政府が責任をもって調べた証拠ではありません。 中国はデッチアゲの新聞記事(中国の犬等の書いた記事)を証拠とし、国連で日本軍の市民虐殺を非難しています。 故に、民間人の殺害はなかった。

A.我々の日本政府は、松井大将を戦犯ではない、としています。 我々の日本政府は、谷中将も戦犯ではない、としています。 その事を我々は、忘れてはいけません。 南京事件は、無罪。 これが日本政府の立場です。 マンガ 幻冬舎 小林よしのり氏の戦争論2巻 227ページから引用します。 こうして昭和28年8月遺族援護法が改正され、 旧敵国の軍事裁判で有罪とされた人は 日本の国内法では罪人とみなさないという判断基準が明確に示され、 遺族に年金と弔慰金が支給される事になった。 以上 戦犯には、年金も弔慰金もありません。 遺族援護法の改正によって、 旧敵国の軍事裁判で有罪とされた人は 日本の国内法では罪人とみなさないという判断基準が明確に示され、 遺族に年金と弔慰金が支給される事になった。 これは、歴史的事実で、疑問の余地がないのです。 マンガ 幻冬舎 小林よしのり氏の戦争論2巻 228ページから引用します。 A級もBC級もない。 連合国が裁いた戦犯は罪人ではない。 それが法律上の正答であり、 当時の日本人全員の合意であり、 殉難死者を靖国神社に祀るのは当然である。 誤解されやすいのだが、 誰を祭神とするか選定しているのは靖国神社ではない。 終戦までは陸軍省海軍省が、 終戦後は厚生省が戦没者を個別審査して 祭神名票を作成 靖国神社はこれを受理して祭神一柱ごとに 霊爾簿を作り合祀する。 いわゆるA級戦犯も全くこの手続きどおりに 厚生省から 祭神名票が送られ合祀された。 以上 松井大将も谷中将も 厚生省によって、神として靖国神社に祀られたのです。 厚生省がやってるんだから、 日本政府が神と認めたという事でしょ。 左翼のデマその1 南京攻略軍総司令官・松井石根大将、東京裁判で死刑直前に花山信勝教戒師に語ったコメント 本当はこうだった南京事件 板倉由明 第9章 松井大将涙の訓示の錯誤 9章全部がこの話しなんですが、結論を簡潔に書きましょう。 松本重治氏が松井大将は泣いた、と、書いた訳です。 2月8日の慰霊祭を12月17日として間違って書いた。 松本重治氏も間違いを認めた。 入城式のあと、慰霊祭はなかった。これは、確認された事実です。 松本重治氏の誤報を読んだ、花岡信勝氏がホラ話しをでっち上げたのです。 左翼のデマその2 軍司令官、師団長として戦った澄田睞四郎中将の回想 澄田睞四郎中将は、南京戦に参加していません。 学問的に証拠能力がゼロです。 左翼のデマその3 陸軍省人事局長・阿南少将(のち大将、陸軍大臣)南京視察メモ 「皇軍の一大汚点なり。強姦、略奪絶えず」 おやおや、殺人とか、虐殺がありませんねー。 これこそ、南京で、虐殺や殺人がなかったという動かぬ証拠なのです。 kouyouchinbutaiさんは、こう反論するでしょうか? 「婦人方面、殺人、不軍紀行為は国民的道義心の廃退、戦況悲惨より来るものにして言語に絶するものあり」 ハッハッハッ卑怯者め、南京事件 秦郁彦 中公新書 172行目だ。 「中島師団婦人方面、殺人、不軍紀行為は国民的道義心の廃退、戦況悲惨より来るものにして言語に絶するものあり」 kouyouchinbutaiさんは中島師団を隠蔽したのです。 中島師団長と松井司令官は犬猿の仲。 これは、松井司令官派の誹謗、中傷であり、 中島師団長の潔白は明らかとなり、 中島師団長は、第4軍司令官に出世するのです。 左翼のデマその4 第11軍司令官・岡村寧次中将(のち大将) これは、岡村中将が南京軍事法廷用に自身の日記を編集した物で、この日記のおかげで彼は、無罪となったのです。 南京軍事法廷で無罪を勝ち取るために創作された物である事は、明白なのです。 この元の、日記は未だに公開されていません。 左翼のデマその5 南京大虐殺の中心人物・中島今朝吾第十六師団長の従軍日誌 本当はこうだった南京事件 板倉由明172ページ 中島師団の捕虜が殺されずに生存していたことは、既に確認されています。 左翼のデマその6 第百四師団第六十六連隊第一大隊 戦闘詳報(日本軍の正式報告書) これ、雨花台事件といって架空の戦果のでっち上げだった事は判明しています。 本当はこうだった南京事件 123ページからが、雨花台事件です。 左翼のデマその7 同盟通信社・新井正義記者 南京事件日本人48人の証言 阿羅健一 小学館文庫 104ページから108ページ 私自身は虐殺の現場や死体を見たことがない、 と、ハッキリ証言しています。 左翼のデマその8 陸軍省「支那事変地ヨリ帰還ノ軍隊・軍人ノ状況」の資料から(兵士の私信を検閲したもの): 「ある村で親子4人を捕らえ、 南京が村だって言うんですか? 南京事件と何の関係もない話しを持ってくるあたり、よほど、南京事件の証拠が少ないようですね-。 左翼のデマその9 日本陸軍第十軍嘱託カメラマン河野公輝の話 杭州湾から崑山まで あのなぁー 杭州湾と南京って200キロ離れてるぞ。 いいかげんにしてほしい。 左翼のデマその10 昭和天皇の弟・三笠宮(陸軍士官学校出身の陸軍将校)の自伝 一九四三年一月って、 南京事件は1937年12月から1938年3月までだぞ。 場所は南京でも、南京事件とは何の関係もないんだよ。 左翼のデマその11 あの幕府山事件で悪名高い山田支隊長ですら従軍日誌で嘆いています。 えー、 山田支隊は、1500名の部隊。 ところが、2万名の捕虜を獲得しました。 は? という気持ちは分かる、気持ちは分かりますが、 とにかく一応、そういう話しなんです。 で、幕府山事件と言います。 で、山田支隊は、 捕虜の監視、 捕虜の解放中の暴動で多数に逃げられ、 死体の始末 で、手一杯でして、 山田支隊が南京城内で悪さをしたという可能性はゼロ。 つまり、山田支隊の軍紀風紀なんて、南京事件と関係ないのです。 まとめその1 残る下級兵士の日記ですが、 日本軍は、現代に置き換えれば完全なブラック企業ですからねー。 上官に恨みを抱いていた下級兵士はそれこそ星の数なんですよ。 恨みを抱いている人の日記ですから、眉に唾をつけて読まなくてはならない。 まとめその2 南京戦には、たくさんの新聞記者が同行していました。 南京戦は、他の中国の戦場と違い、新聞記者の目があったのです。 さらに、 南京戦で戦争は終わる、と、信じられていました。 少なくとも兵士達は、そう信じていました。 これで、戦争は終わる。 これで、日本に帰れる。 新聞記者は、みんな英雄扱いです。 このような状況で 不法行為は、増えますか?減りますか? 考えて見れば、おわかりでしょう。 南京では、他の戦場に比べて、不法行為は少なかった。 これは、歴史家の一致した見解です。(笠原十九司さんは、除きます) まとめその3 中国には、屈辱でした。 なんせ、アジアの小国と思っていた日本に首都を占領されてしまうのですから。 それで、略奪される。 とか、 強姦される、 といった、証拠のない話しをいっぱいした訳ですね。 強姦とか略奪は、あった、と言われれば、なかったというのは、 とても、困難です。 しかし、虐殺や殺人となると死体が残るのですね。 まとめその4 本当はこうだった南京事件 板倉由明 182ページ 上海戦で中国軍は消耗しました。 それで、南京市民を約3万人徴兵したのですね。 まあ、数については、推定なわけだが、中国側の資料でそういう資料があります。 少なくとも 南京戦で、強引で大規模な徴兵が行われたのは歴史的事実です。 約20万人の市民のうち、10万人が男性、10万人が女性。 10万人のうち、3万人て、3割です。 もちろん、子供や老人は、徴兵されないでしょう。 徴兵される人は、だいたい想像がつくでしょう。 当時南京戦を取材した朝日新聞の記者 足立和雄さんは、 南京事件日本人48人の証言 阿羅健一 小学館文庫 28ページでこう語っています。 青年男子は全員兵士になっていて、城内には原則として残っていないはずだ と。


Q.南京事件 秦郁彦の極悪非道な印象操作(9) 一八師団の村田和志郎伍長(歩百二十四連隊が書いた『日中戦争日記』には、少人数の女性殺害、捕虜斬殺が数件あるほか、 「十一月二十四日湖州城外で、三百人の捕虜が刺殺、焼殺された惨劇のあとを記している。 村田は、第六師団の仕業か?(略)下手人は前日に湖州へ突入した国崎支隊だったと思われる(秦の推測) (私見、村田は殺害の現場は見ずに、焼死体を見て、何故「捕虜」の中国兵不法殺害と判断できたのか? この様なデタラメナ日記に資料価値が有るのか? 何故、現場を見ていない村田の話を聞いて、秦には,犯人は第六師団ではなく国崎支隊で、且つ、国崎支隊の不法殺害行為と解るのか。 更に言えば、殺し合いの戦場に死体があるのは当然で、焼死体=不法殺害、と言う秦は歴史学者として失格では?) 問 秦の「南京事件」は、秦と中公新書の合意のもと自主的に廃刊すべきですか 最後に 中国南京の大屠殺記念館30万は確実に捏造です 証拠は蒋介石政府が出版した「南京安全地帯の記録」です 更に言えば、日本軍は不法行為を禁止していたので、軍の組織的計画的不法殺害(虐殺)はなかった しかし、将兵の個人的不法殺害は10人(?)程度は有ったらしい また、南京安全地帯の記録を日本語に訳したのが「南京安全地帯の記録 完訳と研究」冨澤繁信著 展転社出版 この本では、南京事件は「略奪・強姦事件(デッチアゲ)」と主張。 本当に今の中国政府や中国人はウソツキの極み 兎も角、国民政府が出版した「南京安全地帯の記録」を読み、日本を誹謗中傷する南京大屠殺記念館は閉鎖し、 中国政府及び中国人民は日本人に謝罪すべきです 折角、言論自由の国「日本」に来たのに南京捏造大屠殺を主張するなどアキレタ中国人 天安門事件で自国の民を戦車でひき殺すのが漢族の正義ですか? 漢族の民に人権は無いのですか? 南京城内外での民間人不法殺人はゼロの根拠 ①非戦闘員を皆殺したとされる期間(12月13日から約2カ月)に国際委員会は、日本大使館に69通(計424件)の抗議文を提出。 この抗議文を蒋介石政府が昭和14年に「南京安全区の記録」として出版。 この本を冨澤重信が(邦訳「南京安全地帯の記録」完訳と研究。)で展転社より出版。之によると、日本軍の民間人殺害(合法)は2人。 ②秦郁彦等の日本軍による民間人虐殺の根拠は、中国の犬スマイスの『南京地区における戦争被害 ― 1937年12月から1938年3月・都市および農村調査 』 に依拠している。 ③1937年。ドナルド・ティンパリーは宣伝工作に参加するように勧誘された。財政部長宋子文から月1千ドルを受け取ることで合意。(米コーネル大図書館所蔵の資料) 中国国民党中央宣伝部(国際宣伝処)のトップであった曽虚白の回想録に「金を使ってティンパーリー本人とティンパーリー経由でスマイスに依頼して、日本軍の南京大虐殺の目撃記録として二冊の本を書いてもらった」と記録されている。台北の国民党史館で所蔵されていた「国民党中央宣伝部国際宣伝処工作概要」(1941年)の「対敵宣伝本の編集製作」の部分にティンパーリーの「戦争とは何か-中国における日本の暴虐」は同機関が編集印刷した対敵宣伝書籍と明記されている。 ④、12月6日、「ヴォートリンの日記」 「UP(通信社)特派員のマクダニエルが今日話してくれた所では,昨日句容へ行ってみたが、人が住んでいる村はただの一つもなかったそうだ。中国軍は村人を1人残らず連れ出し,その後、村を焼き払っているのだ。全くの「焦土作戦」だ。農民達は城内に連れてきてくれるか、浦口経由で北方に追い払われた。 悪名高き空室清野(焦土)作戦。南京から10マイル(約16キロ)以内は全ての村を焼いた。焦土では、日本兵は民間人を殺せません。 (句容街道では、南京から江寧県湯山迄約25キロ、句容県句容城まで約50キロ。) 廃墟では日本軍が民間人を殺したくても殺せない。 ⑤。中国が、国連での南京市民虐殺の根拠としたのは、米国などの新聞記事で、中国政府が責任をもって調べた証拠ではありません。 中国はデッチアゲの新聞記事(中国の犬等の書いた記事)を証拠とし、国連で日本軍の市民虐殺を非難しています。 故に、民間人の殺害はなかった。 ⑥英国系のノースチャイナ・デイリーニュース・アンドヘラルドが上海で毎年発刊していた「チャイナ・イヤーブック」について 同社は当時極東最大の発行部数を誇る日刊の英字新聞「ノースチャイナデイリーニュース」を発行していて・1938年1月22日号には「1万人虐殺論」が掲載されていた。 ところが、権威ある年鑑の「チャイナイヤーブック」ではこれは取り上げられず、どこにも南京虐殺の記事はない。つまり、新聞に出たということは、事実の証明にはならない。 1937年12月の主な出来事は、13日(火)日本軍南京占領。17日(土)日本軍凱旋入城の2件のみ。

A.私は、南京で日本軍が行った中国敗残兵(便衣兵)の銃殺者は1万人から2万人居たと考えます。 https://www.youtube.com/watch?v=kBa0A1tLSqs&t=91s しゃべってから死ぬ「南京大虐殺」 https://www.youtube.com/watch?v=20HWTlXY-Wc 日本軍の記録に残る南京大虐殺(軍命令により実施) 2015年10月9日に「南京大虐殺文書」がユネスコ世界記憶遺産に登録されました。 これは、南京の女性や子供、老人を含む一般市民を30万人惨殺したということが真実の歴史として数百年、数千年後も残ると言う事です。 何れは中国人を3000万人を虐殺したと言われるでしょう。 必ず、ドイツがユダヤ人を600万人虐殺した事実と同様の扱いを受けることに成ります。 日本政府は、銃殺した敗残兵が居ることを知りながら、その人数を曖昧にしていることに起因すると思って居ます。 私は、2021年に中国は日本に対して軍事攻撃をして来ると考えます。


Q.こんばんは。 質問ですが転職で内外出版社に行きたいと思ってるんですがどうですか?

A.行きたかったら挑戦してみるとよいのでは? 無事に内定を頂けますように!


Q.2016/07/09付 西日本新聞朝刊の記事からですが、北九州市って50歳以上の方にとっては住みやすい街なのでしょうか? 確かに医療施設や介護施設等は充実しているでしょうし、政令指定都市ですから交通機関もそれなりに発達しているとは思いますが…。 やはりどうしてもいろんな事件や抗争が起きる街という印象も拭えないのですが…。 確かに一般市民が事件や抗争に巻き込まれる可能性は低いとは思いますが、もし仮に巻き込まれた際には甚大な被害を蒙ると思うのですが…。 それでも北九州市は住みやすい街なのでしょうか? 『出版社大手の宝島社(東京)が発行する地方移住の魅力をまとめた雑誌「田舎暮らしの本」(8月号)の中で、北九州市が全国約200の市区町村を対象に調べた「50歳から住みたい地方ランキング」で1位を獲得した。 中高年に照準を定めた調査は今回が初めてで、医療機関や介護施設が充実している点や、移住希望者向けの「お試し居住」制度などが高く評価された。 北九州市の担当者は「住みやすさを市内外にアピールしていきたい」と力を込める。 ランキングは、シニア世代の移住や活躍を応援する「生涯活躍のまち」構想を推進する、全国47都道府県の243市区町村が対象。 自治体が取り組む「移住支援」「住宅対策」「シニアライフ支援」など5ジャンル34項目について点数化し、医療や介護に関する統計データを合わせて、調査に回答した191市町村の総合順位をつけた。 特に医療面で北九州市の評価が高い。 市内には90の病院と969の診療所があり(昨年4月時点)、人口10万人あたりの病床数は全国の20政令指定都市のうち2番目で、介護施設の多さも加点された。 ほかにも、今年2月に初めて実施した市外からシニア世代を招いて移住体験してもらう「お試し居住」や、高齢者向けコンサートやカルチャー教室の多さも評価の対象となった。 高齢化や人口減少が急激に進む北九州市。 昨年10月の国勢調査速報では、全国の市町村で減少数が1位だった。 定住・移住促進担当の小田聡係長は「今回のランキングが、人口減少に歯止めをかけるきっかけになれば」と期待する。 ただ、若い世代の取り込みは依然として課題だ。 北九州市は本年度、官民一体となって移住者を呼び込む「応援団体」制度を強化し、U・Iターンにも力を入れる。 小田係長は「企業や団体と連携しながら生き生きとした街の魅力を伝えていきたい」。』 北九州市は住みやすい街なのでしょうか?

A.繁華街すぎず、田舎すぎず住みやすいと思います。 デパート・駅ビル等もあり、日常生活に困りませんし、JRやバスも発達しているので移動も便利です。 総合病院も人口に対して多いと思います。夜間の救急外来もあるので、何かあっても安心です。医療レベルは全体的に高いと思います。 博多駅までも1時間弱で行けますし、小倉駅には新幹線も停まります。 そして何より家賃が安い。 福岡市内も都内などに比べれば安いですが、北九州はそれよりもっと安いです。 老後を考えると家賃などの固定費が少ないことと、車に乗れなくなった時に生活品等の購入場所が近くにあり交通網が発達していること、病院が多くすぐにかかれることはメリットが大きいと思います。 心配されている抗争等ですが、そういう方が出入りされる夜の店一帯やそういう方が住まれている地区を避ければ巻き込まれることはまずありません。北九州だけでなく他県も抗争等があるようですが、北九州は仁義なき戦いやVシネマのイメージが強すぎるのですかね… 他県の方が大きな組織もあり、怖いところもいっぱいですし、都心の方が犯罪は多いので巻き込まれる可能性は高い気がしますが…


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2017/03/28 Tuesday 11:24:31