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Q.少年法61条が少年が犯した事件について、名前や住所、容貌(ようぼう)など、その少年と推しはかることができるような記事や写真を新聞やその他の出版物に掲載することを禁じているが、これは憲法21条の表現の自由に違 反してないですか? 私は憲法21条に違反していると考えます。その理由は以下の通りです。なお、判例とは異なる立場です。 まず、少年法61条は報道の自由を制約するものであるが、報道機関の報道は、民主主義社会において、国民が国政に関与するにつき、重要な判断の資料を提供し、国民の知る権利に奉仕するものである。したがって、思想の表明の自由とならんで、事実の報道の自由は、表現の自由を規定した憲法二一条の保障のもとにある。 しかし、表現の自由と言えども絶対無制限のものではなく公共の福祉(憲法12条、13条)による制限に服する。だが表現の自由は民主政の過程の関係できわめて重要な人権であるので、他の人権特に経済的自由に比べて厳格な審査を要する。(二重の基準論) ではどのような基準によって審査されるべきであろうか? 表現の自由に対する規制と言っても表現の内容規制と内容中立規制に分けて考えるべきである。 ここで内容中立規制とはいわゆる表現の時・所・方法に関する規制である。 表現内容中立規制は表現内容規制と比べて厳格度の弱い審査基準が妥当であるが、あまり弱い基準で審査すると二重の基準の本来の意味を失いかねない。そこで表現内容に対する基準よりは弱いが厳格な基準であるLRAの基準で審査すべきである。 LRAの基準とは「より制限的でない他の選びうる手段の基準」ともいい、人権規制立法の手段審査に関して用いられる基準の一つで、当該目的を達成するためにより制限的でない他の選びうる手段が存在しない場合に合憲とする基準をいう。 今度は表現内容規制についての審査基準に対して考えます。 表現内容に対する規制は表現の自由に対する強力な規制ですので最も厳格な基準で審査すべきです。表現ナイヨウ規制は「明白かつ現在の危険」の基準で考えます。 「明白かつ現在の危険」の基準とは1.近い将来、実質的害悪を引き起こす蓋然性が明白であること、2.実質的害悪が重大であること、3.当該規制手段が害悪を避けるのに必要不可欠であること、この3要件を満たしたと認められる場合には、当該表現行為を規制することができる基準のことです。 少年法61条の規制は表現の内容を規制するものである。よって「明白かつ現在の危険」の基準で考える。 少年に関する実名報道や推知報道によって、加害少年が再犯を起こすかもしれない抽象的な危険にすぎず、重大かつ明白な危険が具体的に予見できているわけではないので、少年法61条は憲法21条に違反すると考える。

A.あなたの主張は平成12年大坂高裁で認められてますよ。 よって、週刊文春や週刊新潮は凶悪少年事件が起こるたびに写真付きで実名報道してます。 新聞・TVは日本新聞協会の自主規制で報道しないだけです。 少年法61条をよく読んでください。 「家庭裁判所の審判に付された少年又は少年のとき犯した罪」 刑事裁判に送られた少年について記載されていません。法治国家において記載されていない事で取り締まる事は権力側の拡大解釈を許すもので出来ません。 少年法61条は成人ならお構いなしの家庭裁判所の少年審判の保護事件のみの制限しているだけ、成人と同じ刑事裁判に送られた少年刑事裁判まで制限していないので問題ありません。 少年法の家庭裁判所の保護処分の対象は非行や成人なら起訴猶予や執行猶予になる懲役3年以下の犯罪です。喧嘩などの微罪。 少年法で家出や不純異性交遊で補導されたり喧嘩などで逮捕され家裁に送られた少年まで実名報道する必要がありますか? 【事件名】「新潮45」の被告少年の実名報道事件 【年月日】平成12年2月29日 大阪高裁 平成11年(ネ)第2327号 主文 一 原判決中控訴人(新潮45)ら敗訴部分を取り消す。 二 右取消しに係る被控訴人(人権派弁護士団)の請求を棄却する。 概略: 少年法61条について、表現の自由に優先するものではなく、社会の自主規制に委ねたものであり、表現が社会の正当な関心事で不当でなければ、プライバシーの侵害に当たらない、と条件付きながら実名報道を容認する判断を示した。そして今回の記事について違法性はなく、少年の権利侵害には当たらない、そして男性の更生の妨げになることを男性側は立証していないとして、賠償を命じた一審・大阪地裁判決を破棄し、人権派弁護士団の訴えを棄却した。加害者が未成年であっても、場合によっては実名報道出来るとする判決となった。


Q.南京事件。秦郁彦のデッチアゲについて(2)殺害について。 昭和五十九年八月五日付けの「朝日新聞」は「南京虐殺、現場の心情」と題した、都城二十三連隊兵士の日記を紹介しているが。 そのなかに、「近ごろ徒然なるままに罪もない支那人を捕まえて来ては生きたまま土葬にしたり、火の中に突き込んだり 木片でたたき殺したり」(十二月十五日)とか「今日もまた罪のないニーヤ(中国人のことか)を突き倒したり打ったりして半殺しにしたのを 壕の中に入れて頭から火をつけてなぶり殺しにする。退屈まぎれに皆おもしろがってやるのであるが・・・まるで犬や猫をころすぐらいのものだ。 これでたらなかったら因果関係とか何か云うものはトン々で無有と云う事になる」(同二十一日) 「徒然なるままに」とか「退屈まぎれに」とか理由にもならぬ理由で、無差別殺人に走った日本兵士の行状は、まさに鬼畜の所行というべく、 同じ国民の一人としてただ恥じ入るほかはない。「南京事件」p、203。 (この論争経過は元中隊長の吉川正治が書いた手記(文芸春秋八十七年五月号」に詳しい。「南京事件」p290) 私見。この日記の作者宇和田弥市は、猟奇殺人犯。しかも、真偽も明らかでない「個人の犯罪」を記載し、日本軍を誹謗中傷している。 問一。第二十三連隊は水西門付近の攻防を担当した。夜は城外に適当な家屋がないので水西門内に宿営し、十二月二十二日頃までに南京を去った。(完訳と研究p62) 故に、二十三連隊は十五日から二十二日までは安全区内に入れないので、中国人を捕まえることができない。与太話か? 問 秦の「南京事件」は、秦と中公新書の合意のもと自主的に廃刊すべきですか 最後に 中国南京の大屠殺記念館30万は確実に捏造です。しかも、展示写真は全て偽造。 証拠は蒋介石政府が出版した「南京安全地帯の記録」等です. 故に、大屠殺記念館は大屠殺【捏造写真展示】記念館です、 更に言えば、日本軍は不法行為を禁止していたので、軍の組織的計画的不法殺害(虐殺)はなかった また、南京安全地帯の記録を日本語に訳したのが「南京安全地帯の記録 完訳と研究」冨澤繁信著 展転社出版 この本では、南京事件は「略奪・強姦事件(デッチアゲ)」と主張。 本当に今の中国政府や中国人はウソツキの極み 兎も角、国民政府が出版した「南京安全地帯の記録」を読み、日本を誹謗中傷する南京大屠殺記念館は閉鎖し、 中国政府及び中国人民は日本人に謝罪すべきです 折角、言論自由の国「日本」に来たのに南京捏造大屠殺を主張するなどアキレタ中国人 天安門事件で自国の民を戦車でひき殺すのが漢族の正義ですか? 参考資料 ①第二十三連隊は水西門付近の攻防を担当した。夜は城外に適当な家屋がないので水西門内に宿営し 十二月二十二日頃までに南京を去った。(完訳と研究p62) 故に、二十三連隊は十五日から二十二日までは安全区内に入れないので、中国人を捕まえることができない。与太話か。 ② 森尾市太郎 証言 上等兵(114師団、66連隊第一大隊。中隊本部勤務) 「十二月十二日夜、中隊長と一緒の濠の中にいましたが、まわりには死んだ者や負傷者もおり、そのとき、 中隊長のそばにいた兵隊はわずか十二、三人でした。 そのうち、上から、明日、南京城突入という命令が来まして、中隊長は、この兵力で攻撃か、と涙を流していました。 (私見、森尾の証言が戦場の実態で,戦友の死を悼まず、傷ついた戦友の看病もしないで「徒然なるままに」とか 「退屈まぎれに」とか理由にもならぬ理由で、無差別殺人をしたとの、宇和田弥市の日記は与太話)

A.>私見。この日記の作者宇和田弥市は、猟奇殺人犯。しかも、真偽も >明らかでない「個人の犯罪」を記載し、日本軍を誹謗中傷している。 私は違う見立てをしています。宇和田弥市氏が猟奇殺人犯だったわけではなく、日記に書かれている内容が捏造であろうと考えます。 この日記は、宇和田弥市氏の死亡後に奥さんから仲介役の三浦松治氏が預かったものとされています。宇和田弥市氏が腎臓病で亡くなったのは昭和48年です。 都城23連隊のOB達は、昭和49~53年に過去の戦史の編纂作業を行っています。その時には、宇和田弥市氏が「徒然なるままに」無差別殺人をしたといった記述は発見されていません。 このような状況で、昭和59年に同日記と一緒に発見されたと朝日新聞が報じた写真3枚が偽物と判明していることから、同日記についても捏造の可能性を考える必要があります。 朝日新聞との闘い・われらの場合 都城23連隊の戦史を汚すことは断じて許さぬ 吉川正司(元都城歩兵第23連隊・中隊長) http://www.history.gr.jp/nanking/books_bungeishunju875.html


Q.南京事件 秦郁彦の極悪非道な印象操作(11) 昭和五十九年八月五日付けの「朝日新聞」は「南京虐殺、現場の心情」と題した、都城二十三連隊兵士の日記を紹介しているが。 そのなかに、「近ごろ徒然なるままに罪もない支那人を捕まえて来ては生きたまま土葬にしたり、火の中に突き込んだり 木片でたたき殺したり」(十二月十五日)とか「今日もまた罪のないニーヤ(中国人のことか)を突き倒したり打ったりして半殺しにしたのを 壕の中に入れて頭から火をつけてなぶり殺しにする。退屈まぎれに皆おもしろがってやるのであるが・・・まるで犬や猫をころすぐらいのものだ。 これでたらなかったら因果関係とか何か云うものはトン々で無有と云う事になる」(同二十一日) 「徒然なるままに」とか「退屈まぎれに」とか理由にもならぬ理由で、無差別殺人に走った日本兵士の行状は、まさに鬼畜の所行というべく、 同じ国民の一人としてただ恥じ入るほかはない。「南京事件」p、203. (この論争経過は元中隊長の吉川正治が書いた手記(文芸春秋八十七年五月号」に詳しい。p290. 問一。第二十三連隊は水西門付近の攻防を担当した。夜は城外に適当な家屋がないので水西門内に宿営し 十二月二十二日頃までに南京を去った。(完訳と研究p62) 故に、二十三連隊は十五日から二十二日までは安全区内に入れないので、中国人を捕まえることができない。与太話か。 問二 この日記の作者宇和田弥市は、猟奇殺人犯と思います。しかも、蒋介石政権の宣伝本、南京安全地帯の記録より酷い。 更に、真偽も明らかでない「個人の事件」を記載して、日本軍を誹謗中傷する秦の南京事件を如何に思われますか。 問三 秦の「南京事件」は、秦と中公新書の合意のもと自主的に廃刊すべきですか 最後に 中国南京の大屠殺記念館30万は確実に捏造です。しかも、展示写真は全て偽造。 証拠は蒋介石政府が出版した「南京安全地帯の記録」等です. 故に、大屠殺記念館は大屠殺【捏造写真展示】記念館です、 更に言えば、日本軍は不法行為を禁止していたので、軍の組織的計画的不法殺害(虐殺)はなかった また、南京安全地帯の記録を日本語に訳したのが「南京安全地帯の記録 完訳と研究」冨澤繁信著 展転社出版 この本では、南京事件は「略奪・強姦事件(デッチアゲ)」と主張。 本当に今の中国政府や中国人はウソツキの極み 兎も角、国民政府が出版した「南京安全地帯の記録」を読み、日本を誹謗中傷する南京大屠殺記念館は閉鎖し、 中国政府及び中国人民は日本人に謝罪すべきです 折角、言論自由の国「日本」に来たのに南京捏造大屠殺を主張するなどアキレタ中国人 天安門事件で自国の民を戦車でひき殺すのが漢族の正義ですか? 参考資料 ①森尾市太郎 証言 上等兵(114師団) 「十二月十二日夜、中隊長と一緒の濠の中にいましたが、まわりには死んだ者や負傷者もおり、そのとき、中隊長のそばにいた兵隊はわずか十二、三人でした。 そのうち、上から、明日、南京城突入という命令が来まして、中隊長は、この兵力で攻撃か、と涙を流していました。 十三日朝、城壁の前の高台で中隊長と一緒だったことは記憶していますが、私は昼前、中華門から入り、そのとき中隊長も一緒だったかどうか記憶にありません。 城内では煉瓦作りの建物を中隊本部にして、中隊長もここにいました。 十三日、十四日と二晩南京城内にいて、私は十五日か十六日、中隊の遺骨を持って日本に帰るよう(略)。 捕虜については何も聞いておりません。捕虜を捕まえたり、命令があったということを陣中日誌に書いたこともありませんでした。 (略 三月に原隊に戻りましたが、虐殺という話は戦後聞いたことで、中国兵は軍服を脱いで市民になりすましていたのでそういう兵隊をやったことを虐殺と言われているのでしょう」 (私見、是が戦場の実態だと思う。) ②1930年~40年代にかけて、米海軍の情報将校や武官として上海や重慶に駐在したジェームス・M・マクヒューがまとめた。 1937年。ドナルド・ティンパーリは、蒋介石夫妻の私的顧問の同じオーストラリア人ジャーナリストのウィアム・ヘンリー・ドナルドから宣伝工作に参加するように勧誘された。 財政部長宋子文から月1千ドルを受け取ることで合意。(米コーネル大図書館所蔵の資料)産経新聞。 ③中国国民党中央宣伝部(国際宣伝処)のトップであった曽虚白の回想録に「金を使ってティンパーリー本人とティンパーリー経由で、 スマイスに依頼して、日本軍の南京大虐殺の目撃記録として二冊の本を書いてもらった」と記録されて、それ裏づけるように、 台北の国民党史館で所蔵されていた「国民党中央宣伝部国際宣伝処工作概要」(1941年)の「対敵宣伝本の編集製作」の部分にティンパーリーの 「戦争とは何か-中国における日本の暴虐」は同機関が編集印刷した対敵宣伝書籍と明記されている。

A.笠原十九司さん。 いうまでもなく、左翼であり、虐殺派で残っている、ただ一人の歴史学者であります。 哀れですねぇ。(^0^) さて、 その笠原十九司さんの著書「南京事件論争史」(平凡社新書)から引用しましょう。 234ページですね。 引用開始 自民党の「日本の前途と歴史教育を考える議員の会」に南京事件小委員会を設置、 2007年6月に「調査検証の総括」を発表、 東中野教授らの否定論を受け売りして、 「中国が主張する南京大虐殺は政治的プロパガンダにすぎない」 「南京大虐殺は東京裁判で虚構が証明された」 などと内外に公表したのである。 引用終了 このように、自民党は、東中野教授の主張を受け売りして、 中国が主張する南京大虐殺は政治的プロパガンダに過ぎない。と、結論づけています。 ちなみに、 「南京大虐殺は東京裁判で虚構が証明された」は、笠原氏の引用ミスで 正しくは 「東京裁判の南京大虐殺は、虚構が証明された」ですね。 さらに、 東中野教授は、南京事件について、 限りなくゼロに近い、と、結論づけています。 なぜ、ゼロとせず、ゼロに近いなのか? 戦場であった以上、不法行為がゼロという事は考えにくい訳です。 ただし、 東中野教授は、全ての事件を検証し、立証責任が果たされたものはない、と、結論づけました。 立証責任の果たされた殺人も略奪も存在しないのです。 もっとも、それは、シロと証明された訳ではありません。 灰色の事件はあるのですね。 東中野教授がゼロとせず、 限りなくゼロに近い、 としたのは、こうした理由です。 日本政府は、東中野教授の結論を受け入れて、 殺人や略奪があった事は否定できない、と、主張しています。 東中野教授は、無視されているどころか、自民党も日本政府も東中野教授の主張を踏襲しています。 さて、再び 笠原十九司さんの著書「南京事件論争史」(平凡社新書)から引用しましょう。 234ページですね。 引用開始 さらに、民主党内でも、鷲尾栄一郎ら国会議員20名が呼びかけ人になって、 議員連盟「民主党慰安婦問題と南京事件の真実を検証する会」を組織して、 中略 東中野教授や藤岡信勝ら否定派を招いて「南京事件の史実を検証」するという。 引用終了 今は、民主党ではなく民進党ですが、 民主党も東中野教授を招待して、南京事件の史実を検証しているのです。 自民党からも民主党からも、東中野教授は南京事件の研究の第一人者の歴史学者として高く評価されています。 さて、再び 笠原十九司さんの著書「南京事件論争史」(平凡社新書)から引用しましょう。 今度は234ページではなく、237ページですね。 237ページから引用します。 引用開始 大阪国際平和センター(ピースおおさか)を会場にし、 「戦争資料の偏向展示を正す会」の主催で、 東中野修道を講師に呼んで、 「20世紀最大のウソ、南京大虐殺の徹底検証集会」を開催した。 引用終了 ピースおおさかは、かつて、先頭きって、南京事件の資料を大量に展示していた場所です。 そこに、否定派の代表である東中野教授が招かれ、 「20世紀最大のウソ、南京大虐殺の徹底検証集会」が開催されるのですから、 隔世の感がありますねぇ(^0^) 昔のピースおおさかは、小林よしのり氏の戦争論2巻で徹底的にこきおころされていました。 しかし、ピースおおさかは、真実を知らなかっただけなのです。 今では、東中野教授について勉強し、南京事件の展示は全て撤去されました。 南京事件は、なかった、これは、もう歴史的事実なのです。 もちろん、戦場であった以上、不法行為がゼロという事は考えにくい訳です。 ただし、立証責任が果たされた殺人や略奪はゼロですけれどね。(^0^) さて、再び 笠原十九司さんの著書「南京事件論争史」(平凡社新書)から引用しましょう。 238ページ 引用開始 平和資料問題を考える自治体議員ネットワークと連動して、 全国の自治体が設置した「平和記念館」「戦争博物館」における南京虐殺などの日本軍の加害行為を扱った展示写真や映像を批判、攻撃して、展示場から撤去させる活動を展開した。 引用終了 引用はここまでです。 これに解説を加えると、 まず、公的な平和記念館や戦争博物館において、南京事件の展示物は現在は一つもありません。全て撤去されました。 保守や右翼の主張ではありませんよ、 笠原十九司さんの著書「南京事件論争史」(平凡社新書)から引用です。 笠原十九司さんは、いうまでもなく、左翼であり、虐殺派で残っている、ただ一人の歴史学者であります。 笠原十九司さん自身が、自民党からも民主党からも相手にされない事を嘆き、 日本の右傾化を呪っています。 孤立しているのは、 笠原十九司さんの方であり、 東中野教授は、自民党からも民主党からも歴史博物館からも引っ張りだこ。 とくに、 歴史博物館からは、南京事件の展示物は全て撤去されました。 ビクトリー(^0^)


Q.南京事件 秦郁彦の極悪非道な印象操作(9) 第十軍に従軍した前記の河野カメラマンは、「川沿いに、女たちが首だけ出して隠れているのを引き揚げてぶっ殺し、陰部に竹を突きさしたりした。 杭州湾から崑山まで、道端に延延とそういう死体が転がっていた。」 (証言記録・三光作戦)46p)という見聞を書きとどめている。p72. (私見。蒋介石日記 11月30日「抗戦の果てに東南の豊かな地域が敗残兵の略奪場と化してしまった。戦争前には思いもよらなかった事態だ。(中略)撤兵時の略奪強姦など軍規逸脱の凄まじさにつき、世の軍事家が予防を考えるよう望むのみだ」 日本軍の前に中国の敗残兵が略奪・強姦していた。殺害も中国軍) 問 秦の「南京事件」は、秦と中公新書の合意のもと自主的に廃刊すべきですか 最後に 中国南京の大屠殺記念館30万は確実に捏造です 証拠は蒋介石政府が出版した「南京安全地帯の記録」です. 故に、大屠殺記念館は大屠殺【捏造写真展示】記念館です、 更に言えば、日本軍は不法行為を禁止していたので、軍の組織的計画的不法殺害(虐殺)はなかった また、南京安全地帯の記録を日本語に訳したのが「南京安全地帯の記録 完訳と研究」冨澤繁信著 展転社出版 この本では、南京事件は「略奪・強姦事件(デッチアゲ)」と主張。 本当に今の中国政府や中国人はウソツキの極み 兎も角、国民政府が出版した「南京安全地帯の記録」を読み、日本を誹謗中傷する南京大屠殺記念館は閉鎖し、 中国政府及び中国人民は日本人に謝罪すべきです 折角、言論自由の国「日本」に来たのに南京捏造大屠殺を主張するなどアキレタ中国人 天安門事件で自国の民を戦車でひき殺すのが漢族の正義ですか? 南京城内外での民間人不法殺人はゼロの根拠。 ①非戦闘員を皆殺したとされる期間(12月13日から約2カ月)に国際委員会は、日本大使館に69通(計424件)の抗議文を提出。 この抗議文を蒋介石政府が昭和14年に「南京安全区の記録」として出版。 この本を冨澤重信が(邦訳「南京安全地帯の記録」完訳と研究。)で展転社より出版。之によると、日本軍の民間人殺害(合法)は2人。 ②秦郁彦等の日本軍による民間人虐殺の根拠は、中国の犬スマイスの『南京地区における戦争被害 ― 1937年12月から1938年3月・都市および農村調査 』 に依拠している。 ③1937年。ドナルド・ティンパリーは宣伝工作に参加するように勧誘された。 財政部長宋子文から月1千ドルを受け取ることで合意。(米コーネル大図書館所蔵の資料) 中国国民党中央宣伝部(国際宣伝処)のトップであった曽虚白の回想録に「金を使ってティンパーリー本人とティンパーリー経由でスマイスに依頼して、 日本軍の南京大虐殺の目撃記録として二冊の本を書いてもらった」と記録されている。 台北の国民党史館で所蔵されていた「国民党中央宣伝部国際宣伝処工作概要」(1941年)の「対敵宣伝本の編集製作」の 部分にティンパーリーの「戦争とは何か-中国における日本の暴虐」は同機関が編集印刷した対敵宣伝書籍と明記されている。 ④「国民党中央宣伝部国際宣伝処工作概要」に中央宣伝部国際宣伝処が1937年12月1日から38年10月24日までに、 南京戦を挟む1年間に外国人記者を集めて、記者会見を3百回開いていることが詳しく書かれている。 その中に、1回平均の参加者は50名と書かれている。 その3百回の記者会見において、ただの、1度も「南京で、日本軍が市民を虐殺した」だとか「捕虜の不法殺害をした」だとか言っていない。 ⑤12月6日、「ヴォートリンの日記」 「UP(通信社)特派員のマクダニエルが今日話してくれた所では,昨日句容へ行ってみたが、 人が住んでいる村はただの一つもなかったそうだ。中国軍は村人を1人残らず連れ出し, その後、村を焼き払っているのだ。全くの「焦土作戦」だ。農民達は城内に連れてきてくれるか、浦口経由で北方に追い払われた。 悪名高き空室清野(焦土)作戦。南京から10マイル(約16キロ)以内は全ての村を焼いた。 焦土では、日本兵は民間人を殺せません。 (句容街道では、南京から江寧県湯山迄約25キロ、句容県句容城まで約50キロ。) ⑥中国が、国連での南京市民虐殺の根拠としたのは、米国などの新聞記事で、中国政府が責任をもって調べた証拠ではありません。 中国はデッチアゲの新聞記事(中国の犬等の書いた記事)を証拠とし、国連で日本軍の市民虐殺を非難しています。 故に、民間人の殺害はなかった。

A.我々の日本政府は、松井大将を戦犯ではない、としています。 我々の日本政府は、谷中将も戦犯ではない、としています。 その事を我々は、忘れてはいけません。 南京事件は、無罪。 これが日本政府の立場です。 マンガ 幻冬舎 小林よしのり氏の戦争論2巻 227ページから引用します。 こうして昭和28年8月遺族援護法が改正され、 旧敵国の軍事裁判で有罪とされた人は 日本の国内法では罪人とみなさないという判断基準が明確に示され、 遺族に年金と弔慰金が支給される事になった。 以上 戦犯には、年金も弔慰金もありません。 遺族援護法の改正によって、 旧敵国の軍事裁判で有罪とされた人は 日本の国内法では罪人とみなさないという判断基準が明確に示され、 遺族に年金と弔慰金が支給される事になった。 これは、歴史的事実で、疑問の余地がないのです。 マンガ 幻冬舎 小林よしのり氏の戦争論2巻 228ページから引用します。 A級もBC級もない。 連合国が裁いた戦犯は罪人ではない。 それが法律上の正答であり、 当時の日本人全員の合意であり、 殉難死者を靖国神社に祀るのは当然である。 誤解されやすいのだが、 誰を祭神とするか選定しているのは靖国神社ではない。 終戦までは陸軍省海軍省が、 終戦後は厚生省が戦没者を個別審査して 祭神名票を作成 靖国神社はこれを受理して祭神一柱ごとに 霊爾簿を作り合祀する。 いわゆるA級戦犯も全くこの手続きどおりに 厚生省から 祭神名票が送られ合祀された。 以上 松井大将も谷中将も 厚生省によって、神として靖国神社に祀られたのです。 厚生省がやってるんだから、 日本政府が神と認めたという事でしょ。 左翼のデマその1 南京攻略軍総司令官・松井石根大将、東京裁判で死刑直前に花山信勝教戒師に語ったコメント 本当はこうだった南京事件 板倉由明 第9章 松井大将涙の訓示の錯誤 9章全部がこの話しなんですが、結論を簡潔に書きましょう。 松本重治氏が松井大将は泣いた、と、書いた訳です。 2月8日の慰霊祭を12月17日として間違って書いた。 松本重治氏も間違いを認めた。 入城式のあと、慰霊祭はなかった。これは、確認された事実です。 松本重治氏の誤報を読んだ、花岡信勝氏がホラ話しをでっち上げたのです。 左翼のデマその2 軍司令官、師団長として戦った澄田睞四郎中将の回想 澄田睞四郎中将は、南京戦に参加していません。 学問的に証拠能力がゼロです。 左翼のデマその3 陸軍省人事局長・阿南少将(のち大将、陸軍大臣)南京視察メモ 「皇軍の一大汚点なり。強姦、略奪絶えず」 おやおや、殺人とか、虐殺がありませんねー。 これこそ、南京で、虐殺や殺人がなかったという動かぬ証拠なのです。 kouyouchinbutaiさんは、こう反論するでしょうか? 「婦人方面、殺人、不軍紀行為は国民的道義心の廃退、戦況悲惨より来るものにして言語に絶するものあり」 ハッハッハッ卑怯者め、南京事件 秦郁彦 中公新書 172行目だ。 「中島師団婦人方面、殺人、不軍紀行為は国民的道義心の廃退、戦況悲惨より来るものにして言語に絶するものあり」 kouyouchinbutaiさんは中島師団を隠蔽したのです。 中島師団長と松井司令官は犬猿の仲。 これは、松井司令官派の誹謗、中傷であり、 中島師団長の潔白は明らかとなり、 中島師団長は、第4軍司令官に出世するのです。 左翼のデマその4 第11軍司令官・岡村寧次中将(のち大将) これは、岡村中将が南京軍事法廷用に自身の日記を編集した物で、この日記のおかげで彼は、無罪となったのです。 南京軍事法廷で無罪を勝ち取るために創作された物である事は、明白なのです。 この元の、日記は未だに公開されていません。 左翼のデマその5 南京大虐殺の中心人物・中島今朝吾第十六師団長の従軍日誌 本当はこうだった南京事件 板倉由明172ページ 中島師団の捕虜が殺されずに生存していたことは、既に確認されています。 左翼のデマその6 第百四師団第六十六連隊第一大隊 戦闘詳報(日本軍の正式報告書) これ、雨花台事件といって架空の戦果のでっち上げだった事は判明しています。 本当はこうだった南京事件 123ページからが、雨花台事件です。 左翼のデマその7 同盟通信社・新井正義記者 南京事件日本人48人の証言 阿羅健一 小学館文庫 104ページから108ページ 私自身は虐殺の現場や死体を見たことがない、 と、ハッキリ証言しています。 左翼のデマその8 陸軍省「支那事変地ヨリ帰還ノ軍隊・軍人ノ状況」の資料から(兵士の私信を検閲したもの): 「ある村で親子4人を捕らえ、 南京が村だって言うんですか? 南京事件と何の関係もない話しを持ってくるあたり、よほど、南京事件の証拠が少ないようですね-。 左翼のデマその9 日本陸軍第十軍嘱託カメラマン河野公輝の話 杭州湾から崑山まで あのなぁー 杭州湾と南京って200キロ離れてるぞ。 いいかげんにしてほしい。 左翼のデマその10 昭和天皇の弟・三笠宮(陸軍士官学校出身の陸軍将校)の自伝 一九四三年一月って、 南京事件は1937年12月から1938年3月までだぞ。 場所は南京でも、南京事件とは何の関係もないんだよ。 左翼のデマその11 あの幕府山事件で悪名高い山田支隊長ですら従軍日誌で嘆いています。 えー、 山田支隊は、1500名の部隊。 ところが、2万名の捕虜を獲得しました。 は? という気持ちは分かる、気持ちは分かりますが、 とにかく一応、そういう話しなんです。 で、幕府山事件と言います。 で、山田支隊は、 捕虜の監視、 捕虜の解放中の暴動で多数に逃げられ、 死体の始末 で、手一杯でして、 山田支隊が南京城内で悪さをしたという可能性はゼロ。 つまり、山田支隊の軍紀風紀なんて、南京事件と関係ないのです。 まとめその1 残る下級兵士の日記ですが、 日本軍は、現代に置き換えれば完全なブラック企業ですからねー。 上官に恨みを抱いていた下級兵士はそれこそ星の数なんですよ。 恨みを抱いている人の日記ですから、眉に唾をつけて読まなくてはならない。 まとめその2 南京戦には、たくさんの新聞記者が同行していました。 南京戦は、他の中国の戦場と違い、新聞記者の目があったのです。 さらに、 南京戦で戦争は終わる、と、信じられていました。 少なくとも兵士達は、そう信じていました。 これで、戦争は終わる。 これで、日本に帰れる。 新聞記者は、みんな英雄扱いです。 このような状況で 不法行為は、増えますか?減りますか? 考えて見れば、おわかりでしょう。 南京では、他の戦場に比べて、不法行為は少なかった。 これは、歴史家の一致した見解です。(笠原十九司さんは、除きます) まとめその3 中国には、屈辱でした。 なんせ、アジアの小国と思っていた日本に首都を占領されてしまうのですから。 それで、略奪される。 とか、 強姦される、 といった、証拠のない話しをいっぱいした訳ですね。 強姦とか略奪は、あった、と言われれば、なかったというのは、 とても、困難です。 しかし、虐殺や殺人となると死体が残るのですね。 まとめその4 本当はこうだった南京事件 板倉由明 182ページ 上海戦で中国軍は消耗しました。 それで、南京市民を約3万人徴兵したのですね。 まあ、数については、推定なわけだが、中国側の資料でそういう資料があります。 少なくとも 南京戦で、強引で大規模な徴兵が行われたのは歴史的事実です。 約20万人の市民のうち、10万人が男性、10万人が女性。 10万人のうち、3万人て、3割です。 もちろん、子供や老人は、徴兵されないでしょう。 徴兵される人は、だいたい想像がつくでしょう。 当時南京戦を取材した朝日新聞の記者 足立和雄さんは、 南京事件日本人48人の証言 阿羅健一 小学館文庫 28ページでこう語っています。 青年男子は全員兵士になっていて、城内には原則として残っていないはずだ と。


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2017/04/25 Tuesday 06:06:59