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Q.■あまりにも当然の前提 板漫荼羅とは彫刻である。紙墨を削り取ってしまったものである以上、日蓮の真筆か否かという問は意味を成さない。日蓮は、書をよくしたものの、仏師ではないからだ。 仮に日蓮が文字を書き、自ら彫刻を委ね、允可したとしても、板漫荼羅は真筆を基にした模刻であることは変わらない。 さらに言えば、彫刻の原図は自在にパッチワークができる。たとえば中央題目は日蓮の文字、もしくは模写を用い、他のパーツは制作者の気分に任せ、他筆を持ってくることも自在である。一挙に書き染めた墨痕と違い、形が悪ければ、修正もできる。彫り下げた箇所でも埋めて漆をかければ文字を消すこともできるし、あとから彫り足して、漆をかけ金箔を施せば、遠目からでは識別もできない。故にその真贋を考えることは現存する日蓮真筆漫荼羅の鑑定・鑑別とは根本的に違う。 以上のあまりにも当然する常識的な見地を前提として、敢えて板漫荼羅の真偽について考えてみたい。 なお、考証には熊田葦城著『日蓮上人』(報知社)に掲載された板漫荼羅写真の転載によった。(右図)故にその相貌(そうみょう)その他の詳細を明瞭に読み取ったうえでのものではない。 万が一、事実と相違する点があれば、是非ともご一報いただきたい。 「不鮮明な写真で真偽論など」と眉をひそめる筋があろうか。しかし、ここに紹介する写真は、わたしが撮影したものではない。明治44年に大石寺が許可して公開されたものである。故に不鮮明さの責任はわたしが負うところではない。むしろ、撮影者の責任に属するだろう。以下、わたしが記すところが実際の相貌と異なっているというのであれば、よろしく鮮明な写真を呈示して、その事実証拠に基づいて叱声を願いたい。 個人的には、板漫荼羅の学術的な調査を希望するものである。板漫荼羅信奉集団は、国立で戒壇堂を建立し、なかに安置しようと言う。その御本尊が専門家によって何ら鑑定・鑑別の調査を成されていないことはきわめて異常なことであるからだ。 先ずその実態を徹底調査したうえで、さて「国立の」というのが踏むべき手はずである。もちろん、それが「国主立」でも「民衆立」でも同じことだ。また、「絶対である」と断言するのであれば、その物的証拠を指し示すことは発言者の義務に属するとわたしは考える。ましてや自ら見たこともない御本尊を安置する堂宇を国立で建造する活動を、なんら物的な証拠も示さずに行うことは無責任であるとわたしは進言する。 安置しようとするものの科学的な学術調査が行ったうえで、堂宇建立へ動くというのが常識である。ものには順序があることを、これまた、あまりにも当然な前提として記しておきたい。 ■『大石寺誑惑顕本書』 近代、板漫荼羅に関する偽作説は何度か述べられてきた。その代表的なものは作者不明の『大石寺誑惑顕本書』であろうか。このなかに北山本門寺6代日浄の言として板漫荼羅彫刻の話が載る。(しかし、この原資料はどうやら当たることができず、作者不詳の作文である可能性がある) ここにおける偽作論は主に彫刻に係ることで「未聞未見」の、つまりは大石寺秘蔵の紙幅漫荼羅本尊を板に貼り彫ってしまった大石寺9代日有の咎を責めるというものである。その意味では原本となった漫荼羅の真贋を問うものではなかった。 ■安永弁哲著『板本尊偽作論』 ーーーーこれをどう思いますか? 明治44年、熊田葦城著『日蓮上人』初版に板漫荼羅の写真を載せたとき、わたしが以下記す如き疑義に至る道程は始まったと言えるだろう。それでも、現存御筆大漫荼羅を写真で列挙した『本尊集』が刊行されなければ、この事実は暴かれないで済んだかも知れない。 これらの資料を手がかりに、彫刻伝説の批判から、さらに原本の偽作説を展開したのは日蓮正宗・創価学会の矢面に立った安永弁哲の『板本尊偽作論』であった。この著述は創価学会の熾烈な「折伏闘争」の被害者意識が根底にあると看取できる。その点は同情するが、極端な他者蔑視、野卑な表現で返してしまっている点がまずは目に付き、不快感を伴う。

A.核保有、軍備急速増強、必須です。 日本(とくに沖縄)もチベットのようになってしまいます。 早く憲法を改正して、核保有、軍備急速増強をしなければいけません。 核保有は戦争抑止になります。核がないと敵国が攻めてきます。核とは使えない兵器ですが、このように戦争抑止に役立ちます。 自衛隊の軍備急速増強は非常に急務です。


Q.なお、考証には熊田葦城著『日蓮上人』(報知社)に掲載された板漫荼羅写真の転載によった。(右図)故にその相貌(そうみょう)その他の詳細を明瞭に読み取ったうえでのものではない。 万が一、事実と相違する点があれば、是非ともご一報いただきたい。 「不鮮明な写真で真偽論など」と眉をひそめる筋があろうか。 しかし、ここに紹介する写真は、わたしが撮影したものではない。明治44年に大石寺が許可して公開されたものである。故に不鮮明さの責任はわたしが負うところではない。むしろ、撮影者の責任に属するだろう。以下、わたしが記すところが実際の相貌と異なっているというのであれば、よろしく鮮明な写真を呈示して、その事実証拠に基づいて叱声を願いたい。 個人的には、板漫荼羅の学術的な調査を希望するものである。板漫荼羅信奉集団は、国立で戒壇堂を建立し、なかに安置しようと言う。その御本尊が専門家によって何ら鑑定・鑑別の調査を成されていないことはきわめて異常なことであるからだ。 先ずその実態を徹底調査したうえで、さて「国立の」というのが踏むべき手はずである。もちろん、それが「国主立」でも「民衆立」でも同じことだ。また、「絶対である」と断言するのであれば、その物的証拠を指し示すことは発言者の義務に属するとわたしは考える。ましてや自ら見たこともない御本尊を安置する堂宇を国立で建造する活動を、なんら物的な証拠も示さずに行うことは無責任であるとわたしは進言する。 安置しようとするものの科学的な学術調査が行ったうえで、堂宇建立へ動くというのが常識である。ものには順序があることを、これまた、あまりにも当然な前提として記しておきたい。 ■『大石寺誑惑顕本書』 近代、板漫荼羅に関する偽作説は何度か述べられてきた。その代表的なものは作者不明の『大石寺誑惑顕本書』であろうか。このなかに北山本門寺6代日浄の言として板漫荼羅彫刻の話が載る。(しかし、この原資料はどうやら当たることができず、作者不詳の作文である可能性がある) ここにおける偽作論は主に彫刻に係ることで「未聞未見」の、つまりは大石寺秘蔵の紙幅漫荼羅本尊を板に貼り彫ってしまった大石寺9代日有の咎を責めるというものである。その意味では原本となった漫荼羅の真贋を問うものではなかった。 ■安永弁哲著『板本尊偽作論』 明治44年、熊田葦城著『日蓮上人』初版に板漫荼羅の写真を載せたとき、わたしが以下記す如き疑義に至る道程は始まったと言えるだろう。それでも、現存御筆大漫荼羅を写真で列挙した『本尊集』が刊行されなければ、この事実は暴かれないで済んだかも知れない。 これらの資料を手がかりに、彫刻伝説の批判から、さらに原本の偽作説を展開したのは日蓮正宗・創価学会の矢面に立った安永弁哲の『板本尊偽作論』であった。この著述は創価学会の熾烈な「折伏闘争」の被害者意識が根底にあると看取できる。その点は同情するが、極端な他者蔑視、野卑な表現で返してしまっている点がまずは目に付き、不快感を伴う。 ーーーーこれをどう思いますか?

A.核保有、軍備急速増強、必須です。 日本(とくに沖縄)もチベットのようになってしまいます。 早く憲法を改正して、核保有、軍備急速増強をしなければいけません。 核保有は戦争抑止になります。核がないと敵国が攻めてきます。核とは使えない兵器ですが、このように戦争抑止に役立ちます。 自衛隊の軍備急速増強は非常に急務です。


Q.そんなにご立派な言語感覚ならば、外国語からの重訳を全部辞めればいいのにね。違いますか。 英語やフランス語、ドイツ語・ロシア語から日本語訳されたものを、バ韓国語に翻訳するのは止めてほしいとは日本国民の願いですね。 2016年10月22日、韓国・イーデイリーによると、日本を抜き世界トップの技術力を備えた韓国の造船業界で、日本語由来の用語が頻繁に使われている。 韓国造船業のプライドを守るには、こうした語を整理し「言語の純化」を進める必要があると指摘する声もあるという。 韓国の造船業界、特に現場に日本語由来の語が多く残るのは、韓国が1970年代初め、日本から建造工法や管理方式などを学んだことによる。 例えば「満タン」や「いっぱい」の語は、発音も意味もほぼそのまま、どの現場でも聞こえる日本語になっている。 また、面積を表す「平米(へいべい)」、体積を表す「立米(りゅうべい)」も、それぞれ「ヘベ」「ルベ」の発音で使われているそうだ。 記事は、「こうした傾向は、造船業だけではなく建設業や製造業など産業界全般のほか法曹界、学界などわれわれの社会全般に広がっている」とした上で、「誤って使われている日本式用語」を20余り挙げている。 リストを見ると、「壁」「勾配」「枠」「傷」など日本語そのままの意味を保った語のほか、「足場」「段取り」「かっぱ(防水の覆いなどを指す)」「収まり」「ならし」「じゃばら」「見当」「切れっぱし」など、製造現場から伝わったことがよく分かる語も多い。 造船業の関係者の一人は「いまだに現場のあちこちで日本語を使っていることは、いまだわれわれが世界最高になれていないことを意味する」とし、「言葉や文字から韓国のものに変えなければ、最高のプライドを回復することはできない」と述べた。 これについて韓国のネットユーザーは次のようなコメントを寄せている。 「韓国の造船が世界一っていつの話?」 「記者が使う言葉の中にも日本語が相当あるだろうに。まずメディアが改めてから言ってよ」 「労働の現場では主に日本語が使われ、営業の現場では主に英語が使われる」 「『わが国の造船業が日本を抜いて世界トップの技術力を備えた』…ここから笑えました」 「まず上の人間が直さない限り改善されないと思うよ」 「日本から技術を習ったんだから当然だろう。日本が先生だったんだから」 「韓国語はすでに外来語の“ちゃんぽん”状態。もうどうしようもない」 「何語を使うかなんて、競争力の維持とは何の関係もない。何でもいきなり韓国語を使いましょう運動には本当に参る」 「おかしな話だよ。日本をあんなに嫌っておきながら、実生活では何も考えず日本語を使ってるとはね htp://www.recordchina.co.jp/a153346.html 参考 朝鮮総督府図書館には、たくさんの日本の児童書が文学・歴史・科学と幅広く蔵書されていたし、学校教育の中では、朝鮮語を母国語とする児童を対象とした「国語(日本語)」教育のために、教科書以外にも副読本が編まれ、日本で刊行された書籍を原典とした昔話・童話・童謡、その他各種読み物が子どもたちに与えられていた。 ただしそれらの言語は、当時の「国語」、つまり日本語でなくてはならなかった。 1930年代には、金素雲(キム・ソウン)などにより日本語と朝鮮語が併用された児童雑誌もうまれた。 このように、韓国・朝鮮の近代における子どもの本の歴史は、日本との関係を抜きに考察することはできない。 日本による統治と経済格差など、近代化の過程は子どもの本の状況にも如実に反映されている。 韓国の子どもの本の歴史は、日韓の特殊な関係の狭間に生まれたのである。 現代においては、1990年代以降、民主化と経済成長、コンピューターの導入による印刷技術の向上とともに、韓国の児童書出版も飛躍的な成長を遂げた。 外国の児童文学や絵本の翻訳出版が競うようになされ、日本の絵本も数多く輸入された。 林明子、五味太郎、安野光雅などが多数紹介される中、無国籍風のもの、教育的要素のあるもの、幼児の日常生活が描かれたものに特に人気が集まっている。 近年では、田島征三、長新太、荒井良二などの自由な画風のものも喜ばれているし、福音館の『かがくのとも』などのノンフィクションも多く出版されている。その背景には、韓国の出版社における日本絵本の詳細な研究状況があり、翻訳出版されるだけでなく、1990年代半ば以降に隆盛してきた韓国独自の絵本制作の刺激ともなっている。 現在では、翻訳書の出版よりも自国の作家の育成と作品制作に情熱を傾ける出版社も目立ち、その新しい力は国際的に注目され、評価されるようになった。 日本国内でも、2000年以降、韓国絵本の翻訳点数が急増しているし、一方では日韓共同制作の絵本などもうまれ、日本のものが一方的に流入していた過去の歴史を乗り越え、韓国の子どもの本の出版現場では新しい風が吹いているといえよ

A.そうですね。。。。。。。。。。。。。。


Q.中国語あるいは台湾語の分かる方に質問です。下記は、『近代来華外国人名辞典』の477ページ目の記載をウィキペディアから孫引きしたものです。 田伯烈 廷珀利・哈罗德・约翰 澳大利亚人。 第一次世界大战后来华,任路透社驻北京记者,后又任《曼彻斯特卫报》 ( Manchester Guardian ) 及美国联合报 ( 即美联社 ) 驻北京记者。1937年芦沟桥事变后,国民党政府派他往英美做宣传工作,嗣任国民党中央宣传部顾问。编有《日人在华的恐怖》( The Japanese Terror in China ) (1938) 一书。(中国社会科学院近代史研究所翻译室, 《近代来华外国人名辞典》, 中国社会科学出版社, 1981年, 第477页。) そして、これについて、立命館大学の北村稔は、次のような訳を当てています。 「Timperley,Harold John 1898-田伯烈、オーストラリア人、第一次大戦後来華、ロイター社駐北京記者、後マンチェスター・ガーディアン及びUP駐北京記者。一九三七年廬溝橋事件後、国民党政府により欧米に派遣され宣伝工作に従事、続いて国民党中央宣伝部顧問に就任した」 この訳は、正しいのでしょうか。特に、「宣传工作」のところです。「工作」は、「仕事、活動」の意味であり、「宣伝活動と訳すべきだ」という指摘があります。私も中日辞典、英中辞典を引いた限りでは、「仕事と訳すべきだろう」と思いましたが、確証が持てません。これは正しい指摘だと思われますか。 なお、「宣伝工作」と「宣伝活動」では、日本語ネイティブに与える印象は全く異なり、前者はスパイ活動を暗示します。 http://www.collinsdictionary.com/dictionary/english-chinese/spy http://www.collinsdictionary.com/dictionary/english-chinese/work http://dictionary.goo.ne.jp/cj/8493/meaning/m0u/

A.うーん。私だったら「宣伝活動」と訳したいところですが、「宣伝工作」でも誤訳とは言えないのではないかと思います。 「工作」の日本語の意味を辞書で調べると、 「ある目的を達するために、前もって他に働きかけたり、計画をめぐらしたりして下準備すること」 とあります。 例えば、「和平工作」という言葉があるように、「宣伝工作」も必ずしもスパイ活動を指し示すとは言えないのではないでしょうか。 政府の何らかの目的ために、前もって他に働きかける下準備をした彼の”宣伝の仕事”を”宣伝工作”と呼ぶのだ、という解釈も成り立ちます。 とはいえ、質問者さんのおっしゃる通り、実際、”「宣伝工作」と「宣伝活動」では、日本語ネイティブに与える印象が異なる” のは、確かですよね。


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2017/03/25 Saturday 20:31:46